WASEDA KENCHIKU 25YEARS LATER

トークセッション 「ものづくりの寄り道」

2025年11月1日に開かれた、早稲田稲門建築合同クラス会のトークセッション。社会人25年目の先輩たちが自分たち自身の経験の中から今の学生に「いま、伝えるべきこと」について語り合ったトークセッション「リノベーションから始まった、ものづくりの寄り道」。この時期、建築は、都市はどう変わったのか。セッションの概要をお伝えしよう。

 

ホストは2001年卒で㈱水辺総研代表取締役 岩本唯史さん、cozuchi代表の武藤弥さん。ゲストスピーカーは作家の原田マハさん、東京R不動産ディレクター、toolboxファウンダーの林厚見さん、早稲田大学理工学術院創造理工学部建築学科教授の田中智之さんの3人。うち、田中さんを除く4人は同じ時期に都心部で起きた空き家再生、エリアリノベーションに関わった仲。日本のリノベーション黎明期を共に過ごした戦友というわけである。

冬の時代、2000年代初頭に先輩たちは社会に出た

 

今回合同クラス会を担当した世代が学部を卒業した1999年は厳しい時代だった。いわゆるバブル景気が弾けたのは1991年春だが、その後の日本経済は「失われた10年」と称される長期低迷期にあり、経済成長率は大幅に鈍化。1993、1997、1998年度とマイナス成長を記録している。雇用状況も悪化しており、1999年半ばに失業率は5%台に及んでいる。先輩たちはそんな時期に社会人になったのである。

 

 

「さらにこの時期には2003年問題も話題になった」とセッション冒頭で時代背景を説明した岩本さん。2003年問題とは2003年に東京都心で六本木ヒルズ、新丸の内ビルディングなどの大規模なオフィスビルが相次いで開業。それにともなって賃貸オフィスの供給過剰、空室率の上昇、賃料の低下などが引き起こされると懸念されたもので、同年1年間だけで23棟ものオフィス、ホテルが竣工している。都心にはバブル崩壊後に不良債権化、塩漬けになった不動産も多く存在しており、それがさらに加速するのではないかと言われたのだ。

1997年に大学を卒業、2001年に帰国するまでアメリカの大学にいた林さんは帰国前に「東京はこれからヤバくないか」と言われたことを覚えている。ヤバい理由はペンシルビルのような小規模なビルがたくさん余るからだが、林さんはそれをコンバージョンするなどで面白いことがやれるのではないか、余地があると考えたそうだ。

卒業後、不動産投資系企業に勤めていた武藤さんは建築出身だから企画などに携われるのではないかと思っていたところ、土地を買ってこいと言われ、街を歩き回っていた。

「大手デベロッパーが手をつけないような小規模ビルが多く売られていて、しかも安かった時代でした」

都市にたくさんの隙間があった時代だったのである。そして、そうした不動産、地域をなんとかしようという試みはまだほとんど行われていない時代でもあった。

ただ、空いてしまった建物をなんとかするために、それをどう使うかという議論も起こり始めてはいた。

「余ってしまった建物をなんとかしようと活性化のために、どう使われるべきか、使い方を提案して欲しいという依頼をよく受けたものです」と田中さん。

空いた建物の再生からエリア、価値観のリノベーションが生まれた

 

点在する空きビルは新しい動きを生んだ。空いているなら、安いならそれを面白く使おうという動きである。現在の、建物だけに限らないリノベーションという動きに繋がるもので、そのきっかけとして岩本さんは2001~2003年にあったR-PROJECTをあげた。

これは事業者としての実体は持たない任意の研究会活動で、不良債権をどう再生させるかをテーマに建築家やキュレーター、デザイナーが集まったもの。今回登壇した武藤さん、原田さん、林さんと一緒に東京R不動産を作った建築家の馬場正尊さんなどが参加。そこから飛び火するように実際の不動産を再生する動きが生まれていった。

すでに一部にはリノベーションを手掛ける人達も出てはいたが、今のように大勢の人がリノベーションという言葉を知一般的な時代ではなかった。逆にほとんど手掛ける人がいない分、林さんの言葉のように若手にもやる余地があったのだろう。次々に新たなプロジェクトが生まれ、それらは現在にも強く影響を与えている。

当日、投影されたスライドから順に紹介すると

2002~ at-table設立 八丁堀エリアのリノベーション

2003~ CET(セントラルイースト東京)

2003~ IDEE R-PROJECT株式会社

2003~ 東京R不動産

2004~ 株式会社スピーク

となっており、見て気づくのは建物単体のリノベーションだけをしようというのではなく、エリアや価値観などを変えようという意図があること。

 

たとえば岩本さんや武藤さんたち同級生が手掛けた八丁堀のリノベーションでは銀座にも近いエリアながら空き家率が高かった八丁堀でコンバージョンによる地域の経済振興や、文化・社会的な地域振興も含めた都市再生を理念として掲げて活動。複数の物件種別の異なる不動産を再生、活用している。

2003年に始まったCETは原田さんがネーミングした。空いた建物にアーティストが入り、その規模、エリアが少しずつ拡大、エリアのブランディングにも繋がったという。

「『地図に残る仕事』という大手建設会社の広告コピーがありましたが、空いたところにアーティストが入り、そうした事例が拡大、エリアのブランディングに繋がっていたように思います」と岩本さん。

空き家を再生している人達も、そこを使おうとする人達も面白がっていた。熱い時代だったのだろう、セッションではこの当時を語る登壇者の楽しそうな表情が印象的だった。

「空き家見学ツアーに同行すると参加者がみなさん、熱狂的に面白がってくれる。なんの変哲もない空き地に向かってアーティストが興奮、わおと声を挙げてくれました」と原田さん。

「どうやって食べていたの?」

 

また、当時の様子を説明する岩本さんに田中さんがした質問、岩本さんの答えには笑った。

「どうやって食べていたの?」と田中さん。

それに対して岩本さんは「霞を食っていました」。

今でこそ売れっ子小説家の原田さんも、CETのプロジェクトで「お金をもらったことはない」と。

経済的には厳しい時代だったはずだが、それまでの社会にないモノを生み出すのは楽しかったはず。霞を食べてでも、それまで誰もやらなかった都市の隙間や空きビルに挑んだことが今に続く新しい価値を生んだわけである。言い古された言葉だが、ピンチはチャンスと改めて思った。

熱狂のさなかにそれぞれの道の模索

 

こうした熱狂的な活動の一方で、それぞれは自分のやりたいことに向かい始めてもいる。

武藤さんは2003年に家具ブランドIDEEと共にイデーアールプロジェクト株式会社を設立。岩本さんも駆け出しの建築家としてプロジェクトごとに一緒に取り組んだこともあった。

「この時の仕事は投資家にビルを買ってくださいと売り込み、そのビルをリノベーションして満室化、その時点で売却して利益を出すというもの。その後、リーマンショックで一時頓挫しますが、その後に作った会社も基本的には同じやり方で仕事を続けています。依頼されるのではなく、自分が主体となって仕事を取りに行くというやり方です」

林さんは2002年頃からボロビルを取り上げたブログを書き始め、そこに物件を載せていたところ、そこに思いのほか、人が集まるようになり、それが2004年の不動産のセレクトショップ・東京R不動産(Webサイト自体は2003年から。運営会社である株式会社スピーク設立は2004年)を立ち上げに繋がった。一緒に立ち上げたのはR-PROJECTに参加していた馬場正尊さんである。

原田さんはその東京R不動産が立ち上がった現場に居合わせた。日本橋の古ビルの1階ガレージ、道路との間にビニールのカーテンを吊るしただけのオフィスで原田さんは馬場さんに聞かれた。

「不動産事業者の駅徒歩5分、南向き、間取り図という一方的な価値観に基づいた情報だけでない、北向きだけど緑が見える、水辺に近いなど住む人の価値観で選べる不動産サイトを作りたいと思うけれど、どう思う?」

原田さんは即答した。

「面白い、価値観の転換ですね」

 

そして2005年以降、それぞれの道は少しずつ別れていく。原田さんは2005年に「カフーを待ちわびて」で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞、作家へと。岩本さんは同年の横浜ビエンナーレに作家として出展。作品はボートをテーマとしたもので、現在の水辺を中心とした活動への第一歩だった。

2000年代初頭の冬の時期に生まれた熱い活動が次のフェイズに移っていったのである。現在のそれぞれの仕事からするとこの5年ほどは寄り道、回り道の時代だったといえるが、それが社会に新しい価値を生みだしてきた。登壇者の皆さんの経験、言葉からは道はまっすぐでなくても、最短距離でなくてもよいのだと思えた。

これからの時代に建築とともに生きるために

 

最後はこれから世に出ていく若い世代への登壇者からのメッセージでしめよう。

「以前よりいろいろな選択肢がある時代になってきたと感じています。アトリエ系建築事務所はもちろん、昨今はデベロッパーその他事業者側にもクリエイティブな人は求められており、建築の知識はそこでも生きる。開発でも大規模再開発もあれば、林さんが今進めているというコーポラティブを核としたマイクロデベロッパーも。

一方で建築にはお金が必要。だから私は小口で集める、他ではあまりやっていない資金調達をやって建築を作っており、これもまた建築。本来の建築は資金調達、土地の選定から建築、維持管理その他建物のすべてに関わるものということは意識しておいてほしいですね」とは武藤さん。最近、よく言われるようになったが、建てるだけが建築ではないのだ。

林さんも選択肢が増えたことに触れ、その中で面白い建築を作るのなら幅広い視野が役に立つのではないかと指摘した。

「一見両極端に見える財閥系デベロッパー、AIベンチャーを経験、建築に戻ってきたら世界が変わるかもしれませんよ」

ハードだけではなく、コンテンツに目を向けて欲しい

 

原田さんはハードではなく、コンテンツに目を向けることを説いた。

「人間がいてはじめて都市、建築は成立します。では、人間とは何か。それはソフトでコンテンツです。ところが実際にはまだまだハードだけを見て開発が進んでおり、都市は変わって来たものの、それで人間が幸せになったかといえば疑問です。そうではなく、これからはより良いコンテンツを目指して欲しいと思います」

教育、就職の現場に近い田中さんはそれに関連して自分の幸せ、人の繋がりが大事であることを指摘した。

「私自身が教育を受けて来たのは仕事最優先の時代。でも、今はそうではなく、人生、生活も同時に考える必要があります。人との繋がりが問題意識、楽しみやムーブメントを生むこともあり、仕事一筋が良い仕事に繋がるかといえばそうでもない。

それよりは社会と多くの接点を持つ、そのために時間や生活を考える。そうしたことを意識したほうが良いのだろうと思います。一般に早稲田の学生は横のつながりが弱い気がしています。最近は共同設計をやる試みもありますが、もう少し、繋がりから学ぶことを大事にしたほうが良いのかもしれません」

20年前に蒔かれた種のその後

 

最後に個人的な感想を書かせていただきたい。この原稿を書いている途中で違う取材が入った。相続する土地をこれまでの「売ったらおしまい」とは違う、売主の意思が購入者に届くようなやり方で売ろうとしている人の話で、そこでCETの話が出た。学生時代に関わっていたという。

空いている不動産を使うことでその土地に文化が育っていくようなやり方を見ていて、それを自分でできる範囲でやってみたいと思ったそうで、初めての不動産取引でそれができるだろうというやり方を選択した。

話を聞いて思った。20年前に蒔かれた種が発芽したのだなあと。建築の営みは長い時間に及ぶものである。これからいくつ発芽するかは分からないが、そうして社会は少しずつ変わっていく。そんな場に立ち会えたことは幸せだ。

中川寛子

早稲田大学教育学部卒。40年以上、不動産、建築、まちづくりなどの取材、原稿執筆に関わり、それぞれの業界の変貌をつぶさに見て来た。建築に関心を持つようになったのは学生時代、建築学部の同級生に九州に建築見学ツアーに連れていかれたのがきっかけ。

登壇者紹介