WASEDA KENCHIKU 25YEARS LATER

時代背景の解説-あえて世代論/倉方俊輔

稲門建築会合同クラス会へのコミットが、私の場合、5年ごとにあることに、今回お声がけいただいて気づいた。

最初は2015年。この年の合同クラス会は、1989年に学部を卒業した代が幹事になって開催された。テーマは「いま ユートピアを考える一日」というもので、「ユートピア!」と思われた方は、この先の文章を読み進めてほしい。10年前と現在とで、これほどまでに感覚が異なるのが、このあたりの世代の特徴だということを本稿で確認したいからだ。

「ユートピア」という言葉が使われているのも「あえて」である。そこには当然、この代がバブルの絶頂期に大学や大学院を終え、社会に出てから異なる状況に巻き込まれたという時代背景がある。決して脳天気なものではない。
合同クラス会の冒頭では「世紀の節目とユートピアの力」と題して、白坂亜紀さんが講演された。この年の幹事と同じ卒業年である彼女は、早稲田大学文学部在学中から老舗クラブに務め、1996年に独立して銀座にクラブを開店。和食店など4店舗の経営者となり、銀座の振興活動にも注力された。個人を通じて語られるのは、1986年に男女雇用機会均等法が施行されながらも、まだ女性が主体になって働く場が乏しかった中で、ある種の「ユートピア」(まだここにない場所)を目指した軌跡だった。1991年のバブル崩壊以上に、1997〜98年の金融危機がもたらした深刻な影響も語られた。
当日、もうひとりの講演者として5年下の私が呼ばれたのは、異なる視点を与えると思われたからだろう。実際、在学中にバブル景気がはじけて「氷河期世代」と言われ始めたのは、私たちの代からなのである。

続いて2020年だ。この年は私の代が幹事年だったが、春からのコロナ禍によって合同クラス会が中止となり、翌年に次の代と一緒に開催することになった。なかなか無い合同の合同クラス会になったことに、特に初期において新型コロナウイルスの威力が見極められなかった状況が反映されている。この年の企画自体にも、この2020〜21年らしさと幹事年らしさが表れている。
何か実質的なことがしたいと、議論を重ねて生まれた企画が「早稲田建築みらいびと応援コンペ」だった。企画書には「コロナ禍により、従来のような形で集まることが難しい今、この時期だからこそできる合同クラス会のあり方」として、「卒業生が母校・後輩を支援するかたち」を考えたとある。

具体的には、「建築」を拡張するプロジェクトを、設計演習様式(27.5cm×27.5cmの屏風綴じ/枚数自由)で事業計画として提案してもらい、1次選考で5点程度に絞られたものを公開プレゼンテーション。5人の審査員との質疑応答などを経て、最優秀案・優秀案の数点に対して、応募者が要求する支援を行うという企画だった。公開プレゼンテーションを合同クラス会の当日に実施し、その模様をライブでオンライン配信した。
応募資格があるのは、稲門建築会会員(卒業生・学生)と本学建築学科を志望する高校生。支援は経済的、技術的、人脈的なものなどがあり、実際に総額100万円程度の支援金を入賞者に手渡すことになった。支援金はクラウドファンディングでまかなわれた。コロナ禍で普及したオンライン配信とクラウドファンディングを組み合わせ、対面しない形で絆をつくろうという企画は、2020年代らしい。

その上で「『建築』を拡張する」というテーマは、2010年代的なモードが何かを示している。建築と言っても、新築するのではなく、すでにある場所や建物を作り替えたり、使い変えたりすること。そこに目に見える形だけでなく、目に見えないお金や心のやりとりを寄り添わせること。こうした新しくも自然な変容を、一人で一気に築こうとするのではなく、多様な人びとを参与させながら、時とともにアップデートしていくこと。このような潮流が顕在化したのが、2010年代だった。

私の身の回りの出来事に限定しても、現在の大阪公立大学の前に、2010年に西日本工業大学に着任した際、大学が立地する福岡県北九州市小倉北区でリノベーションまちづくりの動きが始まり、現在では各地で一般化した考え方になっている。
さまざまな動きが現れる中、2015年には従来と異なる建築士の働きに光を当てた「これからの建築士賞」が東京建築士会によって開始された。共に初回の審査員を務めた吉良森子さん、中村勉さんと議論して審査方針を定め、審査を通過した17の活動がいずれも興味深かったため、『これからの建築士—職能を拡げる17の取り組み』(学芸出版社、2016)という書籍にまとめた。今、読み返すと、建築を拡張するというテーマが当時から確かな形を持ち、この10年間でより幅広く展開されていることが分かる。
さらに言えば、2000年代の残響も、私たちの代の合同クラス会にはあったかもしれない。「マネーの虎」というリアリティ番組が始まったのは2001年だ。一般人起業家が事業計画をプレゼンテーションし、投資家である審査員が出資の可否を決定するという内容が話題を呼んだ。

おそらく、時代の空気を表していたからだろう。1997年に山一証券が破綻し、1998年に日本長期信用銀行が破綻するといった金融危機を受けて、1998年に金融の日本型ビッグバンが本格的に開始される。2001年は小泉純一郎が自民党総裁・内閣総理大臣になった年であり、郵政民営化をはじめとする「聖域なき構造改革」が人気を博した政権は、2006年まで続いた。
この間、2004年には「格差社会」という言葉が、2005年には「新自由主義」「ネオリベ」という言葉がブームとなった。私の一つ歳下にあたる堀江貴文が、2004年に完成した六本木ヒルズにちなむ「ヒルズ族」の象徴となり、2006年にライブドア事件で逮捕されるまで、まさに時代の寵児だった。2008年のリーマン・ショック、2011年の東日本大震災によって後押しされた2010年代的なモードとは異なる勢いが、2000年代半ばにはあったのだ。
建築の話に寄せれば、この2003〜2008年頃に、その後に参照されるような建築が数多く竣工している。《プラダ・ブティック青山店》(ヘルツォーク&ド・ムーロン、2003)、《金沢21世紀美術館》(SANAA、2004)、《森山邸》(西沢立衛、2005)、《瞑想の森 市営斎場》(伊東豊雄、2006)、《ふじようちえん》(手塚貴晴+手塚由比、2007)、《神奈川工科大学KAIT工房》(石上純也、2008)などである。

そうした中から、私たちの代にあたる、藤本壮介、平田晃久、吉村靖孝、中山英之といった建築家たちが頭角を現していった。『建築家の読書術』(TOTO出版、2010)は、これに1974年生まれの中村拓志を加えた5名と編んだ、若き日のアンソロジーだ。みな当時30代だったが、同書をひもとくと、すでに作風と思想が一種明瞭になった、前後の世代と比べても「建築家」らしい世代がいるという感を強くするだろう。

そして、2025年である。昨年出版されて話題を呼んだ、近藤絢子『就職氷河期世代—データで読み解く所得・家族形成・格差』 (中公新書、2024)では、バブル崩壊直後の1993年~1998年卒を「氷河期前期世代」、金融危機の影響を受けた1999年~2004年卒を「氷河期後期世代」と区分している。
今年の幹事年は、就職状況が最も深刻だった氷河期後期世代にあたることになる。先ほど述べたような新自由主義的な動向も、それと一体化するというよりは、所与のものであり、乗り越えられるべき対象であったかもしれない。建築界の雰囲気も変化していく。個人的にも、5歳上の代からずいぶん違った感触を受けるように、1976年生まれからの代に異なるものを感じる。2010年代的なモードを確立した中核は、この代からだと考えている。

もちろん、さらに時代は続く。前述した『就職氷河期世代』では、就職氷河期より上の世代である1987年~1992年卒が「バブル世代」、下の世代としてリーマンショックの影響が顕在化する前の2005年~2009年卒が「ポスト氷河期世代」、リーマンショックや東日本大震災の影響を受けた2010年~2013年卒が「リーマン震災世代」と定義されている。
ここまで書いてきた近過去のできごとも、読み手に従って、異なる印象を与えるだろう。遭遇した年齢によって、同一の現象であっても、違った受け止め方になりえる。大多数の人が国内における教育を軸とし、国内を中心に働くといった状況—この戦後日本の前提も急速に変わりつつある—である限り、どの世代であるかが個人の思考に与える影響は少なくない。それを認めることは、互いを理解する契機にもなるはずだ。
世代に閉じず、それで決めつけず、しかしそれを無視しない。そんなことを、5年ごとの回からだけでも思った。合同クラス会は、社会と建築の関係を見つめ、自己を知る上でも最適な機会だと。

倉方俊輔

建築史家。大阪公立大学教授。1971年東京都生まれ。1994年早稲田大学理工学部建築学科卒業、1996年同大学院修了。博士(工学)。大阪市立大学准教授などを経て現職。稲門建築会近畿支部長。日本近現代の建築史の研究と並行して、日本最大級の建築イベント「東京建築祭」の実行委員長、「イケフェス大阪」「京都モダン建築祭」の実行委員を務めるなど、建築の価値を社会に広く伝える活動を展開している。著書に『悪のル・コルビュジエ』(彰国社)、『建築を楽しむ教科書』(ナツメ社)、『伊東忠太建築資料集』(ゆまに書房)、『吉阪隆正とル・コルビュジエ』(王国社)ほか。日本建築学会賞(業績)、日本建築学会教育賞(教育貢献)など受賞。